夕日が沈むまえに

1960年頃生まれの男の記述 半世紀をふりかえり、そしてこれから

父はズラだった。

私が幼い頃、父と遊んでいたら頭の一部が脱落したのを覚えている。
いや、それ以前の物心つかない頃に肩車をしてもらっていて、ズラをずらしてしまい、これはいかんと思ったのか私が自らもとに戻したと母が言っていた。なかなか賢い子供だったんだな、と思うが記憶は全くない。
 
母に「いつからズラなんだ?」と聞いたら「気がついたら付けていた」と。
まるでエルメスララァの攻撃だ。
父はニュータイプか。
 
そんな父も年齢を重ねるとズラに白髪を増やして小倉さんみたいになっていった。
しかし「お父さん髪の毛多いね」と、真剣に言う人がいた。
「あなたの目はフシアナか」と本当に思ったよ。これがわからないなんて・・
 
人は見た目が九割とかいう。髪の毛は質より量 しかもそれがニセモノであっても「量」が評価を得る!こんなことがまかり通っていいのか!
 
私は母方の父が若い時から、そして父がこの状態なので養毛には気を使っていたおかげで、幸い私に髪の毛はある。自分のことより気になるのが父将来のことだった。
もし、父が病気になって病院でMRIやCTに入るときは「外して下さい」と言われるんだろうな、入院したら絶対マズイとか思っていた。
 
とある休日の午後、一本の電話が入った。父が外で倒れて救急車で病院に搬送されたという。
その時のどさくさでズラはどこかにいってしまった。
 
病床の父の頭に包帯が巻いてあった。やがて包帯を外してズラ無しの状態で父は入院していたが、殆ど言葉を話さなくなっていた。見舞いに来た人たちは「頭に包帯→髪の毛が無い=たぶん手術で剃ったのだろう」とでも思ってくれただろうか?いきなり髪の毛が無いよりワンクッションあったわけだ。
 
車椅子で移動させていたら廊下のつきあたりに大きな鏡があり、父は頭を両手で触って確認した、ちょっと顔色が変わったようだ。ありゃ、反応している、元気やんか、と思った。
 
車椅子は鏡の前を過ぎ去り病室に戻った。
義理の弟が「お父さんは幸せやね、皆が見舞いに来てるよ」と言った。父は「し・あわせ・」みたいな言葉を発していた。
それが意味のある単語としては最後の発声だった。
納棺された父の遺体に花を入れる時が来た。頭の周囲に重点的に入れて、親族に続いて親しい方々がお別れに来るのに備えた。
 
父は長年、体の一部だったズラとは一緒に旅立てなかった。