やたら縁日の夜店が多かった。
京都市中心部でも定期的に縁日が出ていた。物心ついた頃から1970年頃までだったと思う。
まだ自動車が少なかったからだろう。
これは年に一度の山車が出るような大きな祭りというのじゃなくて、月一ペースで夜に屋台が出るというものだ。
お寺の縁日なのに、その主体となる寺はかなり小さい。今でも寺院はもちろん存在しているが、当時は信心など無く、どこの寺の縁日か知らず夜店の屋台が出る日だとしか思っておらず、当然お参りもしていない。
私の場合生活圏が変わったら変わったで別の縁日があったから、けっこう各地で縁日をしていたんじゃないかと思う。子供なので生活圏が小さく知らないわけだが。
私の体験した二例を挙げる。
今でもこの通りは老舗なBtoBの伝統産業系会社が多く並んでいる。一般人が立ち寄る店舗はあまりないようだ。
だから夜間に店舗の前に露店が出てもそう問題なかったのかもしれない。
この道をまっす東に進むと鴨川に橋が架かっていて、これが本当は牛若丸と弁慶の伝説になった五条の橋だと言われている。
仏事のことを書いた暦を見ると不動明王は28日が縁日とあるから毎月一回出ていたのであろう。
西洞院通りはバスも通る対面通行できる道路だが、四条通り以北の蛸薬師通りから急に道が狭くなる。なんでも大昔は京都駅に向かう市電が通っていて、このあたりがターミナルで、電車が方向転換していたということだが、さすがにそんな昔のことは知らない。
現代ではマンションやホテルが立ち並び、パン屋や飲食店も多い。当時はBtoC店舗や民家が多かったと思う。
確か、月に一度じゃなくて9の付く日、毎月9、19.29とか頻繁に縁日が出ていたと思う。多すぎない?記憶違いかな?
きょうだいと父に連れられて夜店にいったら、お!久しぶりと言って父が露店の主と話していて驚いた。小学校時代の同級生だそうだ。お金を払ってないのにタダで景品用のおもちゃをもらったことがある。そのおじさんは片方の小指が少し無かった。
帰りに道、父が小学校の同級生は警察官になった人も多いが夜店のオッチャンとかになった人も多いとか言っていた。